【連載・復旧の光と影 二つの能登災害(4)】膨大な事業量に向き合う | 建設通信新聞Digital

5月1日 木曜日

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【連載・復旧の光と影 二つの能登災害(4)】膨大な事業量に向き合う

 能登地域は直轄国道の空白地帯である。今回の震災を特徴付ける因子の一つだ。能登半島を巡る基幹路線である国道249号は県管理だが、大規模な土砂災害が多発したことなどから緊急復旧は結局、権限代行となった。国土交通省北陸地方整備局が災害協定に基づき日本建設業連合会に道路啓開を要請した。その他の県管理路線は石川県建設業協会が担った。

石川建協は10月、豪雨災害に見舞われた輪島市内でボランティア活動を行った


 石川建協では発災の翌2日、真柄建設の作業班が先陣を切って被災地へ出動した。同社社長の真柄卓司建協副会長は「行くしかない、困っているから助けに行く、そんな自然な気持ちだった」と振り返る。

 真柄副会長は、実はその後に受けた取材で「災害時、全国大手が入ってくるのは普通だが、県内の地域建設業が応援に行くというのはあまり例がないのではないか」と指摘されたという。

 「確かに、災害時の対応であっても『地域(地元)の仕事は地域(地元)で』が地域建設業にとっての本来の姿だと思う。今回、金沢などから応援に行ったのは被災規模が大きかったということもあるが、何よりもそれだけ地元で対応する業者が足りていない、地元を守るだけの建設業の維持ができていなかったということだろう」

 地域防災を担うべき地域建設業が不足している奥能登の現状を真柄副会長はこう分析し、「地元が求めている場合に限り応援に行くのが基本スタンス」とした上で、「われわれはこの間、『地域建設業が衰退すると地域を守れない』と訴え続け、労務単価を上げてきてもらった。そのことを体現するのが今だ、あの時皆そう思っていたはずだ」と明かす。

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 「地元業者の体力、落ちたなあ」

 自らも被災しながらこの1年、昼夜なく地元の復旧作業に全力を傾注してきた能登の業者に対する深い敬意と謝意をにじませながら石川県建設業協会の鶴山庄市会長は、わがことのようにこうつぶやく。

 発災後、国など発注機関には復旧工事に際して地元業者への配慮をことあるごとに要請してきた。しかし時とともに膨らんでくるのは、「執拗(しつよう)なお願いがひょっとするとあだになったところもあるのではないか」との思いだ。被害の大きさに伴う復旧・復興の事業量とそれを受ける業界の力。その乖離(かいり)が予想以上に大きかったのではないか。

 「奥能登、中能登の協会員企業に(発注者から)配慮いただいたのは大変ありがたい。しかし、復旧・復興のため、10年、20年分の事業量が発生して感じざるを得ないのは地元業界の体力だ。この機会を試練として乗り越え、発展につなげねばと言ってきたが、県、市も含め、あまりに仕事が多すぎる」と吐露する。

 仙台市に本社を置く深松組の深松努社長はかつて講演会で東日本大震災の復旧活動を振り返り、「この震災が5年後だったら対応できなかったかもしれない」と話した。当時は公共事業削減が常態化して廃業も相次ぎ、業者数も激減。とくに職人の数が減少の一途をたどっていたことに強い危機感を抱いていたという。

 十数年前の経営環境が今も能登で暗い影を落とす。鶴山会長は、「体力が落ちた」のは人口減少、地域経済の衰退などに伴う企業規模の縮小に加え、震災に伴って離職者が続発したことによるところも大きいとみる。妻と子どもが金沢へ避難し、自身だけ復旧に当たっていたが、結局は自身も奥能登を離れていくという働き盛りが多いのだという。発注者側も技術者の常駐緩和策などを講じているが、安全面での不安もある上に、入札不調も出てきていると指摘する。技術者にとっては体力的にも精神的にも負荷になる。

 復旧・復興への機運醸成という面から「見える復旧」のアピールを、大型工事を担う大手の力を借りて行い、住民の期待に応えてほしいと求める一方、「道のりの長い地元の復旧箇所は地元業者ができる範囲で丁寧に進めていけばいいのでは」と提案する。

 

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