【オーサカ建築〈戦後編〉】シンプルで美しく、楽しい仕掛け満載の安藤忠雄作品・日本橋の家 | 建設通信新聞Digital

4月19日 金曜日

公式ブログ

【オーサカ建築〈戦後編〉】シンプルで美しく、楽しい仕掛け満載の安藤忠雄作品・日本橋の家

安藤忠雄氏の「日本橋の家」

 私が大学生だった1980年代後半。建築を学ぶ者にとって安藤忠雄さんの作品はまさに「憧れの的」だった。当時は安藤さんが住宅から商業建築を経て公共建築を手掛けられようとしていたころ。細工谷の家(野口邸、大阪市天王寺区)や小篠邸(兵庫県芦屋市)など京阪神の作品を見てまわり、コンクリート打ち放しの美しさに魅了されていた。
 ことし、縁があって日本橋の家(大阪市中央区)のクライアントである金森秀治郎さんと知り合い、作品を見学させていただいた。竣工時(1994年)も見に来ていたが、そのころから変わらぬ魅力をいまも放っており、月日の流れを感じさせない。特にコンクリートはきれいで、施工品質の高さもうかがえる。
 日本橋の家は、日本橋の繁華街に位置する。間口2.9mのファサードは、隣地側の2枚のコンクリート壁が正面の縦3列×横4列のガラスのカーテンウォールを挟み、実にシンプルで美しい。
 1階から3階の中庭に向かって登る鉄砲階段、2階から4階をつなぐ3フロア吹き抜けの中に浮かぶ階段、3階から4階の対面する各室に直接上がる外部階段が特徴的で、これらは迷路のように、折れ曲がって交差しながら空間をつないでいる。空間の全体がファサードと同じようにシンメトリーになっているのも印象深い。
 また、玄関扉横の小扉を開くと1階の階段から3階の中庭まで風が通り、中庭トイレの水洗を開くと上部に設置されたコンクリートのプランターに水が運ばれるなど、楽しい仕掛けがいっぱい潜んでいる。
 いまはギャラリーとして使用されている日本橋の家。金森さんいわく「自分だけの物にしておくのはもったいない。若い建築家や学生を始め、多くの人が集まる場所にしたい」との思いで最近家を出たそうだ。1階エントランスの外装塗装のやりなおしや内部をギャラリー用に改装、2階和室を撤去したほかは竣工当時と変わらない。クライアントに大切に使っていただける。建築家にとってこれ以上うれしいことはない。住宅の役割を終え、公共的な建物としてのこれからが楽しみだ。
 私たちの世代の建築家に、いまもなお大きな影響を与え続ける安藤さんの建築。それが多く残っているというのは、大阪にとって貴重な財産である。
(日本建築家協会近畿支部長 井上久実)

建設通信新聞の見本紙をご希望の方はこちら