【JIA建築家大会2019】建築文化継承機構がJIA-KITアーカイヴス会議 偉大な建築家の原点を解説 | 建設通信新聞Digital

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【JIA建築家大会2019】建築文化継承機構がJIA-KITアーカイヴス会議 偉大な建築家の原点を解説

 建築家の生き様を後世に--。建築文化継承機構(仙田満代表理事)は18日、青森県弘前市内で開催された「JIA建築家大会2019青森inHIROSAKI」の一環で「JIA-KITアーカイヴス会議 偉大な先輩建築家に学ぶVI」を開いた。地元の山形に生涯深い愛情を注いだ建築家・本間利雄、弘前出身の大工・棟梁として明治期に青森で多くの洋風建築を手掛けた堀江佐吉、秋田などに県を代表する建築作品を残した白井晟一の3人の後継者や研究者らが生前のエピソードや考察を交えて東北の地域・文化に対する考え方や設計思想などについて解説した。
 会議では、本間弘氏(本間利雄設計事務所代表)が本間設計グループ前代表の本間利雄について、建築史家・永井康雄山形大工学部教授は堀江佐吉について、白井原太氏(白井晟一建築研究所)は祖父の白井晟一についてそれぞれ講演した。
 このうち、本間弘氏は建築のみならず経済や文化・芸術と幅広い分野で活動した本間利雄の精神哲学『本間イズム』の原点について「ブナは光を地に落とすために、互いに重なり助け合いながら原生する。本間の原風景は、生まれ育った山形県小国町から見えるブナの原生林、飯豊連山にある」と説明した。
 続けて、エコロジカル・プランニングの手法を使って自然や社会、文化などの情報収集や調査・研究を行う地域環境計画研究室を立ち上げた経緯を紹介。この中で、山形市七日町にある『御殿堰』を復活させ、堰の景観を利用した商業施設整備事業について「長年閉じられていた堰の蓋を開けたことは、歴史の蓋を開けた瞬間であり、上流下流にも波及していく市民運動のスタートにもなったエポック的な価値ある事業だった」と紹介した。
 また、地域に注ぐ深い愛情とともに、社会への責任を持つ本間利雄の強固な建築家マインドが「少年期に鈴木弼美先生(基督教独立学園高等学校創設者)と出会い、さまざまな教えを受けながら野山の中で育っていくときに感性の骨格が生まれた」とし、その上で「“山をみろ、突き抜けるような空をみろ、自らの理想を高めて、地にしっかりと足を付けて、天に向けて闘え。自分と理想の間には邪魔する物はない”と常々指導された」とその教えを語った。
 永井氏は弘前市内に数多く残る洋風の歴史的建造物について「堀江氏が亡くなった後もその教えを継いだ組織としての堀江組が技術を継承し、弘前の建築文化の保存に貢献してきた」と解説。その上で「日本の建設技術は、江戸時代以来の優秀な技術者のおかげで飛躍的に近代化が進んだ」と述べた。
 白井氏は秋田県内などで白井晟一が手掛けた作品が少しずつ失われている現況を紹介しつつ「建築は保存運動だけでは残すことはできない。魂を残しながら生かす仕組みが必要になる」と強調し、歴史的建造物の見学ツアーなどの保存に向けた取り組み内容を報告した。

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