【2つの五輪をつなぐ】国立代々木競技場から有明体操競技場へ 受け継がれる革新的空間づくり | 建設通信新聞Digital

4月28日 日曜日

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【2つの五輪をつなぐ】国立代々木競技場から有明体操競技場へ 受け継がれる革新的空間づくり

 2020年東京オリンピック・パラリンピックの開幕が迫る中、アスリートの活躍の舞台となる関連施設が次々と完成の時を迎えている。前回のオリンピック(1964年)で国立代々木競技場を手掛け、今回も有明体操競技場など複数の施設で設計・施工の技術指導に当たり、革新的な大空間づくりの実現に貢献している斎藤公男日大名誉教授は、「われわれが実績を積んできたノウハウが、今回の施設にも脈々と受け継がれている」とし、半世紀以上の時を経て2つの五輪をつなぐ構造技術とスピリットは「いまも建築界を支え続けている」と強調する。

日本大学名誉教授 斎藤公男氏


 斎藤氏は、大学4年の時に卒業研究で構造とデザインの両方を学ぶため、東大生産技術研究所の坪井研究室に入った。当時、坪井善勝は丹下健三とタッグを組んで多くの大空間建築を手掛けていた。
 「それまではコンクリートでシェルをつくるというのが主役だったが、時代はどんどん流れ、仮枠にお金がかかるので、やがて鉄骨のシェルになり、その次はテンション構造が世界中から注目を集めることになった」と当時を振り返る。

 前回の東京オリンピックの開催が決まったのは59年。敷地や予算のめどがつき、施設建設の話が坪井研究室に舞い込むのはその2年後だった。国立代々木競技場の設計をスタートすべく、61年の12月に丹下・坪井研究室のメンバーは赤坂離宮で初顔合わせをした。
 終戦から約16年が経過し、「同席していた高山英華先生に、とにかくこのプロジェクトは日本の戦後復興の姿を見せることも大事だが、復興を超えて先端的なデザインと施工技術で世界をあっと言わせようと言われた」ことは、いまでも鮮明に覚えている。
 両研究室のメンバー全員に「正月返上で各自が案をつくれ」という指令が下り、年明けには20くらいの案が提出された。テンション構造も多く、「わたしも模型を提出したが、丹下さんのチームから出てきたのはみんなすごく魅力的だった。最後に残った案は丹下さんの都市と建築のイメージが強かった」という。

 採用されたのは前例のない「複合式の吊り屋根方式」という極めて革新的な構造で、施工にも高度な技術が求められた。「改修の時に複雑な下部構造などが再確認された。コンピューターによる計算がない当時、どう設計をしたのか。『勘ピューター』ではないが、優れた英知が結集されている」と先人の知恵に思いを馳せる。

国立代々木競技場。採用されたのは前例のない「複合式の吊り屋根方式」構造で施工にも高度な技術が求められた

 構造計算も体力勝負だったが、何よりも大きかったのは「上に立つ人の明確な方針、決断」だと言い切る。「いまはコンピューターでいくらでもやり直しがきくが、当時はそうはいかない。時間がないので後戻りはできない」状況の中で、指導役の先見性は不可欠だった。「当時の人たちの読みの深さが、いかにすごかったかという部分を学ばなければならない」と思いを新たにする。
 一方で、「世界の誰も見たことがない魅力的な形態、日本の伝統の造形などがぎっしり詰まっている。短い時間の中で破綻なくできたのは、人間の持っている力、情熱と知力だと感じる。それがいまコンピューターに吸い取られている。思考力や判断力を奪われているのではないか」との懸念もある。

 国立代々木競技場や、下関市立体育館、岩手県営体育館、ファラデーホールなどで、次々と革新的な空間づくりを実現してきたこれまでのノウハウは、今回のオリンピック関連施設にも受け継がれている。
 大空間を演出する木の曲線の大屋根を始め、観客席や外構などに木材をふんだんに使い、斎藤氏が「木の宇宙船」と表現する有明体操競技場は、「かかわるのであれば絶対に成功させる道筋をつけなければならないと思った」という意気込みで技術指導に当たった。
 「デザインがすごく魅力的だったが、偏平な大スパンを単一集成材でやるのは難しい」。初見ではそう思った。雪の重さでも木がたわまない工夫や、偏った過重、地震力への対応などをクリアするために思考を巡らし、「素敵なデザインはとにかく変えず、安全性という面で仕組み(メカニズム)を変える」という結論を導き出した。「40年間ずっとわれわれが実績を積んできた張弦梁と天秤構造との組み合わせが瞬間的に思い浮かんだ」という。

 施設の特徴となっている約90mにわたる大スパンの木質大屋根には、構造システムの必然性、工期短縮、安全管理を考慮してリフトアップ工法を提案。長さ約70m、幅14m、重量200tのユニットを5回にわたってリフトアップし、約1年をかけて架設した。「リフトアップした瞬間、全体の力の流れが決まる。地上で長さ、応力のコントロールをしてアップするだけ。木の持っている難しさはそうすることで全部クリアした」と振り返る。
 梁とケーブルは3本の小さなパイプでつながっているだけなので、ほぼジョイント部分がわからず、ミニマムで美しい仕上げになっている。ディテールのデザインにも強くこだわった。

有明体操競技場。観客席や外構に木材をふんだんに使い、「木の宇宙船」と斎藤氏は表現する


 日本初と言える本格的な「複合式木質張弦梁」は、先人たちの絶え間ない挑戦で培われてきた英知により実現した。斎藤氏は「意匠と異なり、技術は古くならない。世界遺産にしても昔の匠はすごい、ということを今回の五輪を契機に改めて思う」とした上で、「これまでのノウハウが最後に有明につながった。まさに代々木からの贈り物だと思う。デザインの実現を支える構造技術の魅力をもっと伝えていきたい」と力を込める。

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