【日本建築学会大賞を受賞】建築家であり教育者の香山壽夫氏に聞く 建築教育のこれから | 建設通信新聞Digital

4月26日 金曜日

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【日本建築学会大賞を受賞】建築家であり教育者の香山壽夫氏に聞く 建築教育のこれから

 建築意匠分野の確立と発展に大きな役割を果たすとともに、大学での研究教育と設計事務所の活動を通じて多くの優れた研究者や建築家を輩出し、社会に貢献してきた香山壽夫氏(東大名誉教授・香山壽夫建築研究所所長)が2021年の日本建築学会大賞を受賞した。教育者と建築家の「二足のわらじ」で数々の業績を残してきた香山氏に、日本の建築教育の課題やコロナ禍が建築界に与える影響などについて聞いた。

 ――受賞の感想について

 「己の好きなことをただ一心にやってきただけで、世の中に貢献してきたという意識は薄く、大賞をいただいていいのかという思いだ。大学を卒業した時に、建築の道もいろいろある中で、設計で生きていこうと決めてから60年経った。この節目に大賞をいただいて光栄に思っている。作品もそれなりにつくり、研究で本も書いてきたが、特に前半の30年は教育を活動の中心に置いてきた。土日・休日に設計する以外は、とにかく大学での教育に専念することを優先してきた。業績の中で教育に触れていただいたのは光栄なことだ」

 ――なぜ教育の道を選んだのか
 
 「日本の大学全体に言えることだが、建築教育が体系化されていない。先生が各自勝手なことをやっている。学者、研究者、芸術家にはそういう面があってもいいが、一方で教育方法と制度はしっかりしていなければならない。私が東大に在学していたころも、偉い先生は休講続きで仕事を優先していた。外で仕事をしていることが偉いという雰囲気があったが、米国の教育を体験して衝撃を受けた。ペンシルベニア大学でルイス・カーンに師事していたが、講義は休講にしないし、遅刻しない。ロバート・ヴェンチューリの講義もそれまで聞いたことがないくらい素晴らしく、丁寧で論理的な内容に驚いた。米国にとどまって、カーン、ベンチューリに負けない講義をやってみたいという気持ちになっていた」
 「ペンシルベニア大学の大学院修了後、カーンにヨーロッパの古い建物を観に行ったほうが良いと勧められ、しばらく米国を離れて、フランスのノルマンディー地方の修道院に滞在したりもした。当時はほぼ廃虚に近い状態だったル・トロネ修道院の回廊に寝袋で寝たりしたこともあった。忘れられない思い出だ。その後、米国に帰るつもりだったが、英国に滞在していた時にパブで九州芸術工科大学の学長予定者だった小池新二先生にキャンパスの設計の打診を受けた。『4年だけ仕事をしてほしい』と言われ、帰国することになった。キャンパスの設計が終わり、再度米国に行こうと思っていた時に東大から声がかかった」

 ――日本の教育の問題点は
 
 「日本では偉い先生の講義はよもやま話というのが普通だったが、米国は体系立った素晴らしいものだった。私がまがりなりにも研究に取り組んだのは建築のデザインを理論的に体系化する必要があると思ったから。私にとっての建築意匠の研究は学生を教えるための方法という意識だった。ルネッサンス以降の西欧の建築理論はすべて教育のための体系であり、私の研究も教育の手段だった。60年前は日本の大学に建築の設計をしている先生はほとんどいなかった。丹下健三や吉村順三などが教鞭をとっていたが、それは特殊な例だった。いまは建築家として作品を発表している先生がどこの大学にもいる。デザインの講義もたくさんあり、大きく変化している。ただ、本当のデザインの教育方法が確立されているかと言えば、そうではない。歴史を踏まえた理論など足りない部分も多い。歴史とデザインは別ものではなく一体であるはずだが、日本では切り分けられているのは、問題だ」
 
 ――教育と設計業務の両立は苦労も多かったのでは
 
 「最初は夜間と休日に1人で仕事をしていた。大学と両立させるのは至難の業だった。しかし、デザインを教えるには、理論と実際の経験がいる。少しずつ必死で設計に取り組んできた。初めての劇場の仕事となった彩の国さいたま芸術劇場が完成したタイミングで東大を定年になった。これで設計に集中できると、事務所名も環境造形研究所から香山壽夫建築研究所に改称し、新たなスタートを切った。彩の国さいたま芸術劇場のプロポーザルでは、『これまでの経験がないからこそ誰もやったことないものを必ずつくり出す』と宣言し、それで選定してくれた審査員の方々には感謝している。設計者選定に際し資格者数、類似施設の実績を求めることは間違っている。そういうことでは若い人材が育たない」

初めて劇場の設計を手掛けた 「彩の国さいたま芸術劇場」 (撮影:小川重雄)


 ――コロナ禍で建築はどう変わるか
 
 「対面でのコミュニケーションが人間にとってかけがえのない行為だということを再認識させられた。建築の基本的な仕事の1つは直接会う場所をつくること。一時、建築もグローバライゼーションがキーワードになり、地域性を失って1つの世界になるという話もあったりしたが、地域性が失われることは絶対にない。むしろ、世界はますます小さな単位になっていく。仕事で現地に訪れると、ほぼ共通して既存の建物を大事に、街並みに溶け込む、独自性のある建築を求められる。希薄になっている共同体のつながりを強くしたいという思いが伝わってくる。以前からその兆候はあったがコロナで決定的になった。オンラインでのコミュニケーションが進展する一方で、人と人を結ぶ空間を創出する建築本来の役割が改めて求められている。いまこそ、建築の原点に回帰せねばならない」

選定理由/建築意匠研究の確立、教育・創作通じた文化貢献評価

 「建築形態論を基盤とする建築意匠研究の確立と建築設計教育・創作を通じた建築文化への貢献」で2021年の日本建築学会大賞を受賞した。
 わが国の建築学において、建築形態の生成や意匠設計に深く関連する建築形態論を提唱した先駆的研究者として、その功績は高く評価され、特に建築意匠分野の確立と発展に果たした役割は非常に大きい。さらに、その研究成果の実践として多くの建築作品を創り出してきた。建築形態論を基盤とする建築意匠研究の確立に顕著な業績を残すとともに建築設計教育・創作を通じた建築文化への多大な貢献が高く評価された。

(こうやま・ひさお)1960年東大工学部建築学科卒。65年にペンシルべニア大大学院修了後、68年九州芸術工科大助教授、71年東大助教授、75年イェール大客員研究員、82年ペンシルべニア大客員教授、86年東大教授、97年明治大教授、2002年放送大学教授、08年聖学院大学特任教授を歴任。73年に香山アトリエ(現香山壽夫建築研究所)を設立。主な作品に、九州芸術工科大学キャンパス(70年)、彩の国さいたま芸術劇場(94年)、関川村歴史資料館(同)、聖アンデレ教会(96年)、函館トラピスチヌ旅人の聖堂(01年)、東京大学弥生講堂(同)など。日本建築学会賞(作品)を始め、村野藤吾賞、日本芸術院賞など、多数の作品でさまざまな賞を受賞している。『建築意匠講義』(東京大学出版会、96年)、『建築を愛する人の十二章』(左右社、10年)など著書も多数。東京都生まれ、84歳。



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