【直木賞作家・門井 慶喜さん『地中の星』】東洋初の地下鉄工事に挑む人間ドラマ描く | 建設通信新聞Digital

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【直木賞作家・門井 慶喜さん『地中の星』】東洋初の地下鉄工事に挑む人間ドラマ描く

 直木賞作家の門井慶喜さんは「人間の良いところと悪いところ、できることとできないことをよく知ることができる」という土木を題材にすることが多い。ことし8月に出版した著書『地中の星』では、東京メトロの前身である東京地下鉄道の創業者・早川徳次と技術者たちの熱き闘いにスポットをあてた。「政治家から建設現場の作業員まで、事業に携わったあらゆる階級の人物を登場させながら、明治でも大正でもない大衆社会の幕開けを描きたかった」と語るように、名もなき無数の「地中の星」が東洋初の地下鉄工事に挑む様を明朗でのびやかな筆致で描く。

 偉大な先人である司馬遼太郎ら歴史作家は、戦争を題材に多くの歴史小説を書いた。彼らとは違い、自身は戦争を経験していない世代だが、資材や資金が動き目の前の景色が大胆に変わる「土木」を、「戦争に匹敵する典型的なスペクタクル」ととらえる。命をかける大変な仕事ゆえに、土木は「平和な時代の戦争だ」。これまで多数の著作を世に送り出したが「人間の良いところと悪いところ、できることとそうでないことがよく表れているのが土木だ」との思いが根底にある。
 16年刊行の連作短編集『家康、江戸を建てる』でも土木を題材にした。戦に明け暮れる軍人としての徳川家康ではなく、利根川の水路変更、金貨の造幣、水道整備、江戸城の石垣造成、天守閣の建築など、江戸のまちづくりを手掛けた家康と、それを支えた人々を描いた。あくまで小説は「人間の行動を描くためのものであって土木を描くツールではない。人間のドラマとして伝われば、知識がある人にも読んでもらえるのでは」

表紙には1927年12月に東洋で初めて地下鉄上野~浅草間が開通した際のポスターを取り入れた。三越のデザイナーを務めた杉浦非水氏が身分関係なくさまざまな人が乗車している姿を華麗な色彩で描いている (新潮社/1800円+税)


 本作『地中の星』は、早川徳次が、当時としては途方もない事業だった地下鉄計画をスタートアップし、財界大物と技術者たちの協力を取り付けていくというストーリー。地下鉄開設に向けて東奔西走した早川の苦労をベースに据えつつ、あくまで「早川自身が土を掘ったわけではない。地下鉄を書くからには工事の作業にあたった人まで描きたい」と筆をとった。
 計画当初は誰も共感してくれない。技術者や役人は「東京は地盤が軟弱だから絶対にできない」と相手にせず、庶民は「地面の下に電車が走ったら崩れる」「自分の家の下に得体の知れないものが走られちゃぁたまんねえ」と恐怖心を抱く。後生を生きるわれわれにとっては、地下鉄が走るのは当たり前。雨に濡れずにデパートで買い物ができることももはや珍しくない。「かつて恐怖を感じていた時代がもう想像できないが、それを克服したのは紛れもなく、土木工事に携わった人々のおかげだ」
 だからこそ、土留めと杭打ち、覆工、掘削、コンクリート施工、電気設備、5つの工程に携わった現場監督に光をあてた。読者にわかりやすく伝えるため、施工を担当した大倉土木(現在の大成建設)の現場総監督・道賀竹五郎のほか5人の現場監督を設定し、前人未到の難工事に挑む衝突や葛藤、誇りを描きながら、物語を紡いだ。

 題材を決めてから取材にかけた時間は、約5年間に及ぶ。かつての大事業を掘り起こすのは容易ではない。まず、資料調査は欠かせない。工事を調べようにも、いまのように動画もなく図版も乏しい。そこで最も読み込んだのは東京地下鉄道の社史だ。高価ではあったが古本屋で入手したその本は、「日本初の事業を後世に伝えるというきわめて明確な意図をもって書かれていた」。何枚も付箋を貼りつつ、暗号を解読するかのように読み進めた。
 「とりわけ土木技術に詳しいわけでも、鉄道マニア顔負けの知識があるわけでもない」からこそ、専門外の用語を理解するべく率直に資料を読み込み、なるべく平易な言葉に落とし込んだ。この工事で誕生したとされる「エンドレスバケット」「ベルトコンベーヤー」のほか、「スキップホイスト」、ATS(列車自動停止装置)などはその一例にすぎない。
 位置を把握し地図に正確に書き込む。実際に、日本初の地下鉄で現在の銀座線上野~浅草間の地上を歩いたことも思い出深い。それぞれの街の特色を感じると同時に、当時の“地中”の人々に思いを馳せた。「崩落事故をも乗り越え、あれほど大変な苦労があったにもかかわらず、約2.1㎞という距離はあっという間」だと感じた。

 当時、早川だけでなく工事に携わった全員が社会的な責任感をもって取り組んだ。「今の時代でも、(現場で働く方々のこういった思いは)必ずしもメインにはならない。だが後世に必ず理解される。ここにひとりの味方がいると思って読んでほしい」
 「監督たち、技術者たち、無数の人足たち。彼らは胸像どころか名前すら遺ることがなく、そのことに不満も言わなかった。地中の星はいま、そのほとんどが肉眼で見えない」。物語のラストはこう結んだ。 

(かどい・よしのぶ)
1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒。2003年にオール読物推理小説新人賞を受賞しデビュー。18年に『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。『家康、江戸を建てる』『屋根をかける人』など著書多数。

      

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