【クローズアップ】宮大工の仕事ぶり推量/真柄建設 | 建設通信新聞Digital

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【クローズアップ】宮大工の仕事ぶり推量/真柄建設

真柄建設(金沢市、真柄卓司社長)から同社のルーツである宮大工の仕事ぶりを推し量ることのできる古図面などが発見された。金沢城をはじめとする歴史的な木造建築物を参考に腕を磨き、日本の建築工法を進歩させた証左と言える。それだけに、真柄社長はこの資料を「後世に引き継ぐ」ことで、祖先が紡いできたものづくりに対する思いを今につなげ、「(祖先と同じように)建築文化の発展に寄与したい」考えだ。

歴史的建造物の図面をもとに先人たちは研さんを積んだ

◆歴史的資料を後世に引き継ぐ
宮大工をなりわいとした真柄家の11代目・真柄要助が1907年に立ち上げた真柄組が、真柄建設の前身となる。家業(宮大工)の歴史は真柄組創業以前までさかのぼるため、足跡をたどることは容易ではなかったが、「約15年前に実家の蔵から古い資料が多数出てきた」というおぼろげな記憶を、真柄社長がふと思い起こしたことで“ルーツへの旅”が動き出す。

先代にその真偽を確認すると、寺社仏閣・城郭の建築に携わった宮大工らが記名された棟札や絵図の写しなど、計282点を金沢市の玉川図書館に寄託していることが分かった。

寄託を受けた図書館側は全ての資料を分類・整理したものの、寄贈ではない以上、その内容までは精査していなかった。そこで社長自身が専門機関(金沢城調査研究所)に依頼し、本格的な調査を開始した。

同研究所が寄託資料の中から26点を抽出して調査した結果、金沢城関連では過去に調査済みの▽金沢城図▽河北門絵図▽竹沢御殿絵図–の3点を除き、金沢城二の丸御殿再建時(1808-10年)の棟札の写しと、本丸・東ノ丸周囲の寸法を記した本丸エリアの絵図を確認した。

加賀藩江戸上屋敷(現在の東大本郷キャンパス)の間取りの写し、金沢城再建事業の藩御大工(のちに御大工頭)・井上明矩が相伝した『建仁寺流三手先接物相伝書』の存在も判明した。

いずれも既に把握されていたものだったが、報告書では「真柄家は幕末ごろから宮大工として活躍しており、東別院や尾山神社建立などにも携わっていたこともあり、資料群は大工の仕事を務める上で必要な図面類として残されたものである」と推察している。その上で「各種寺社建築の図面類が多く、これらの資料を参考にしつつ宮大工としての職務に務めていたことが分かる。中には虹梁(こうりょう)などの下書きや欄間彫刻、動物のデッサンも含まれていることから、大工の心得として図面や下絵を描くという日ごろの研さんの跡が見える」とし、先人の並々ならぬ努力を読み解いている。

真柄家のルーツに思いをはせる真柄社長

◆建築文化の発展に寄与
真柄社長は「新たな発見はなかったものの、宮大工の家系から宮大工の仕事ぶりを示す資料がまとまって出てきた意味合いは非常に大きい。資料一つひとつをつなぎ合わせることで、宮大工の功績が点ではなく、線として見えてくる」との認識を示す。

それだけに受け継がれた遺産を後世に残す重要性を痛感しており、「今後は全ての資料をデータ化し、展示できるようにしたい」という。多くの人に宮大工の歴史に触れてもらう機会を創出し、意義や価値を理解してもらうことで、「日本の建築文化の発展に少しでも役立てたい」とする、末裔(まつえい)の思いは真柄家の確かなDNAを表している。


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