能登半島地震発災から3ヵ月-地域建設業の奮闘-(3) | 建設通信新聞Digital

5月10日 金曜日

能登半島地震リポート

能登半島地震発災から3ヵ月-地域建設業の奮闘-(3)

【「BCP、訓練の見直し必要」/広域災害想定した備えを】
 「石川県は白山が守ってくれるから災害が少ない」--。多くの石川県民が子どもの頃から信じてきた言い伝えだ。実際は2007年3月の「平成19年能登半島地震」をはじめ、23年7月の記録的な大雨による浸水被害など、たびたび災害が発生している。ただ、今回の能登半島地震のような広域複合災害が少なかったのも事実。地域の守り手として災害対応を担う地域建設業の備えはどうあるべきか。
 石川県建設業協会の平櫻保会長は「毎年9月1日の『防災の日』に合わせて防災訓練は実施してきたものの、今回の震災のような災害は想定していなかった。初めて大規模な災害対応を経験したが、訓練と実践はまったく違う」と語る。
 一方で同協会は、金沢と能登に倉庫を借りて流通在庫備蓄方式による資材備蓄を行ってきた。具体的には建材商社に管理費を払い、ブルーシートや大型土のうなどを定期的に新しいものと入れ替えて備蓄するものだ。今回の震災でも両倉庫から資機材を搬出したが、「まったく量が足りなかった」(平櫻会長)という。
 石川建設工業(金沢市)の寺田道生専務も「実際に今回のような災害が起きるという前提がなかった」と率直に話す。ただ、社員の安否確認に関しては全員にスマートフォンを貸与し、有料の安否確認アプリを入れていたため、「午後4時10分に地震が発生し、その約10分後にメッセージを送った。輪島市に帰省していた1人を除き、その日のうちに安全を知らせるメッセージが返ってきた」と振り返る。
 真柄建設(同)の真柄卓司社長は「3年前に南海トラフ地震などを想定し、社員が3日間暮らせる水と食料、ブルーシートなどを備蓄していた。これらがあったから、すぐに奥能登に向けて出動できた」と話す。
 では、建設業界でも策定が進んでいたBCP(事業継続計画)は効果を発揮したのだろうか。北川ヒューテック(同)の北川隆明社長は「いまあるBCPをもう一度つくり直すぐらいの改定が必要ではないか。訓練のやり方も考え直すべきだ。特に地震の場合は、徐々にやってくる水害と違って、まったく予測できない。そうなると動き方が違ってくる。地震と水害を分けてBCPをつくるべきだ」と指摘する。
 吉光組(石川県小松市)の吉光成寛副社長は「大規模地震の発生確率が3%未満と言われていた能登で最大震度7の地震が発生した。どこでも同じような地震が起こり得る。すぐにでもLINEグループ作成や、クラウドサーバーの準備を進めた方が良い」と提言する。
 江口組(同)の江口充社長は「石川県は災害が少なくて、白山に守られているといわれてきたが、実際は大雨による災害がたびたび起きている。元日の夜に家族で避難する日が来るとはまったく考えていなかった」としつつ、「今回の被害を受けて、国土強靱化の必要性を改めて感じるとともに、われわれがきちんと担っていかなければならない」と力を込める。
 マグニチュード7.6、最大震度7を記録した今回の地震。震源の深さや地震動波形などによっては、より広域的に大きな被害が出た可能性があった。平櫻会長は震災後、昨年9月に仙台市内であったイベントで、深松努仙台建設業協会長から聞いた災害協定のことを思い出した。それは18年9月に仙台建設業協会と浜松建設業協会が結んだ災害時の相互援助に関する協定だ。事前に第1陣の人員・資機材や進行経路、宿泊場所などを特定しておき、支援要請の有無にかかわらず、被災地に向けて自動的に出動するものだ。「こうした関係を平時から構築しておくことが大事だと思った」(平櫻会長)。
 東日本大震災後、国土交通省東北地方整備局がまとめた『災害初動期指揮心得』には、「備えたことしか、役には立たなかった」と記されている。さらに「備えていただけでは、十分でなかった。備え、しかる後にこれを超越してほしい」と続く。
【2024年4月3日付紙面掲載】

石川建協の流通在庫備蓄方式による資材の備蓄。備えてはいたものの想定外の被害に対しては圧倒的に量が足りなかった