【記念シリーズ・横浜市公共建築】 最終回 横浜市開港記念会館 | 建設通信新聞Digital

4月29日 月曜日

横浜市公共建築100年

【記念シリーズ・横浜市公共建築】 最終回 横浜市開港記念会館

◆建築史家・建築批評家 五十嵐 太郎氏に聞く

 横浜市開港記念会館と横浜市建築局は、ほぼ同時代を歩んできた。開港記念会館の竣工・開館が1917年、横浜市建築局の前身である建築課の誕生が1922年。初代建築課長は開港記念会館設計者の山田七五郎(原案はコンペ1等の福田重義)だった。その意味で開港記念会館は名実ともに公共建築を体現した最初の建築と言えるだろう。建築史家・建築批評家の五十嵐太郎氏は開港記念会館について「古典主義建築を踏襲しているのだが、その『文法』をさまざまな部分で崩していて、自由に遊んでいるのがとても面白い。しかもデザインの質が高い。かなり個性的な建築で、フリークラシックと一言で片付けずに、文法崩しのデザインの面白さをもっと具体的に伝えていきたいと思う」と話す。

五十嵐太郎氏

 横浜市開港記念会館は1917年に開館したが、23年の関東大震災で時計塔と壁の一部をわずかに残して倒壊した。このため、頑強な建築に建て直そうと災害復旧工事によって27年に復元された。工事の対象外だったドーム屋根は89年、横浜市によって復元されている。同年、国の重要文化財にも指定された。所在地は、1874年から時計台の町会所として親しまれていたところで、1906年に焼失。その時計台の文脈が現在の建物に引き継がれた。

 「最初に開館したのは明治時代だが、近代以前の高い建築は寺の塔や城郭くらいしかなかった。だから近代を迎え、市民のランドマークとなる塔を持つ建物が横浜市によって建てられた意義は大きい。しかも財源は市民の寄付、設計は初のコンペということで、まさに公共建築の先駆的な建物として位置付けられると思う。開港記念会館が公共建築100周年と深くつながっていることが改めて分かる」

 塔はジャックの塔とも呼ばれ、「大さん橋国際客船ターミナルやそこから出ている客船から町の方を見ると、キングの塔、クイーンの塔とともに、三つの塔が見える視点がいまも残り、すごく横浜らしいランドマークだと思う」とも述べる。角地という立地についても「日本の近代建築の特徴でもあるが、メインとなる顔がうまく配置されていて斜めから写真が撮りたくなるようなとてもシンボリックな建て方だ」と言う。

◆古典主義を踏襲しつつ自由に遊ぶ

イオニア式の円柱に肘木のモチーフを合体させたり、二つの時計の下に花綱模様を入れた独創的なデザインの講堂


 辰野式フリークラシックと言われるデザインについてはこう話す。

 「辰野金吾が設計した東京駅に代表される当時の赤いれんがと白い花崗岩の組み合わせがここでも採用されていて、要素としては古典主義建築を踏襲しているが、かなり自由に遊んでいるというのがこの建築の面白いところ。例えば、扉周りの意匠は、海側の本町通りのファサードにある2カ所をフォーマルにする一方、裏側の細い南仲通りでペディメントの内側のアーチ、両側のトリグリフといった一番変則的な遊びを取り入れ、正面と裏との格式を変えている。ただ、正面側のファサードも、二層目のみにイオニア式円柱が並ぶという変わったことをやっている。古典建築には文法のようにかなり厳密なルールがあるのだが、この建築家は多分それを知った上で実にユニークなことをやっている。ルネサンス後にマニエリスムという古典主義をずらす動きがあったが、開港記念会館ではほかにもいろいろなところでマニエリスム的なおきて破りが見られる」

 ヨーロッパ建築をただまねているというのではなく、古典建築の単語はしっかりと持ちつつ、その組み合わせが独特で、崩し方、凝り方がよく考えられているということだ。

◆饒舌に語りかけてくる建築

二層目のみイオニア式円柱が並ぶファサード


 「古典主義を崩した理由の一つはデザインの密度を上げたかったからではないか。メイン通りの面は特に密度を濃くするとか、メイン以外の通りの面ではより羽目を外すという感じがある。ただ、3面いずれも手を抜いておらずデザインの質がとても高い。以前開催した『かたちが語るとき』という展覧会で伝えたように、形態そのものが語りかけてくることがいっぱいある。建築によってそんなに語らないものと饒舌(じょうぜつ)なものとがあって、開港記念会館は饒舌に語りかけてくる建築だと思う。それをしっかりと読み取って伝えていきたい」

 横浜市が建築に果たしてきた役割について、「関東大震災後や戦後に住宅の供給を推進したり、復興小学校に取り組んだ歴史があること、地域センター整備の設計で若手建築家に積極的にチャンスを与えたこと、横浜ランドマークタワーや象の鼻パーク、大さん橋ターミナルでシンボル性の転換を図ったことなど、時代の要請に応え、時代を切り開いてきたと思う。今後は、実績にこだわらずに若手が活躍できる先進的なコンペを実施してほしい。大さん橋は、建築家の故磯崎新氏が審査を主導した国際コンペを通じて、画期的で斬新なシンボルとなった。そんな建築をこれからも期待している」と語る。

◆文化財的価値は外観や内部意匠と一体の補強

 現在、保存修理工事が続けられている横浜市開港記念会館は、同市内でも貴重な国指定重要文化財である。横浜開港50周年を記念して計画され、1917年に竣工した。しかし、6年後の関東大震災で被災、倒壊はしなかったものの、屋根、ドーム群、木造床などを焼失し、震災復旧工事が実施され27年に完成した。このとき復旧されなかったドームは89年に復元され、同年、国の重要文化財に指定された。文化財的価値は、辰野式フリークラシックと呼ばれる赤れんがに花崗岩を取り混ぜた外観、震災復旧で鉄筋コンクリートによる補強が内部意匠と一体になっている点などだ。

 建物の構造・規模はれんが・鉄骨れんがおよび鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て塔屋付。れんがは水平方向に帯鉄、垂直方向に鋼鉄棒を入れた錠聯鉄構法(ていれんてつこうほう)という耐震に配慮した当時としては画期的な技術を使っており、この点も文化財的価値とされている。所在地は横浜市中区本町1-6。山田七五郎が設計、清水組(現清水建設)が施工した。現在は中区公会堂として利用されている。

 1945年の横浜大空襲では無傷で残った。終戦で連合国軍により接収。58年に接収が解除・返還され、竣工当初の「開港記念横浜会館」から現在の「横浜市開港記念会館」に名称変更した。78年には設備、サッシ、屋根防水、ステンドグラスなどの改修工事があった。

 89年のドーム復元工事を経て、99年-2000年にかけて文化庁の補助事業として、屋根、外壁、1、2階の漆喰などの保存修理工事が行われた。

 今回の保存改修その他工事は、経年劣化が進んでいることから、文化財の適切な維持保全および安全性の確保を目的に、文化庁補助事業として実施されている。

 外部については、屋根部分が屋根材の差し替え、外壁部分がタイルの張り替えとピンニングによる固定など。内部は、壁・天井の漆喰部分の浮きや剥離部分の塗り直し、床の破損・欠損部分の塗り直し、ステンドグラスのパテ充填、亀裂部分のはんだ付け補修などとなっている。工期は21年12月-23年12月28日。設計を文化財保存計画協会、施工を清水建設が担当している。

※2022年4月1日から1年間にわたって100施設を紹介してきた「横浜市公共建築100周年」のシリーズ企画は、今回で終了します。

 

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