【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 時速300mの世界、スローウオーク | 建設通信新聞Digital

4月27日 土曜日

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【45°の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎氏 寄稿 時速300mの世界、スローウオーク

◆研ぎ澄まされ、フラットに街を鑑賞

 今回、いつもと違う方法で都市を観察するスローウオークを紹介したい。これは2010年から14年にかけて、東北大学の都市・建築学専攻が試みた実験的な教育プログラム、せんだいスクール・オブ・デザインにおいて発見され、実施した一種のフィールドワークである。筆者は、ここで雑誌『S-meme』をつくるメディア軸のスタジオを担当していたが、ただ特集の内容を決めるだけでなく、通常の出版ではなかなか許されない前衛的なブックデザインも同時に行っていた。そのプログラムの中で、ネタ出しの回において、受講生の篠原章太朗氏が個人的に行っていた街歩きの話が大変に興味深く、受講生全員で仙台のアーケード街でやってみようということになった。

 12年12月のことである。当時、篠原氏は、他学科の博士課程に在籍しており、漠然とした将来への不安から、時々現実逃避としてお酒を買って、ゆっくり街を歩いていたと言う。まずコンビニエンスストアでポケット・ウイスキーを購入し、服に忍ばせて、ちょびちょびと飲む。ただ、それにかける時間が半端でなかった。よく聞いてみると、昼前から始めて、夕方近くまで数時間もかけていたのである。直感的に、これは面白そうだと思った。しかも、高度な技術を必要としない。ゆっくり歩くだけなら、誰にでもできる。

 
◆アーケードをほとんど止まっているかのように歩く

 その期間の『S-meme』では、現代アートをテーマにした特集を予定していたこともあり、フィールドワーク、あるいはパフォーマンスとして相性がいい。「スローウオーク」という言葉は最初からなかったかもしれない。ただ、メディア軸のスタジオでは、これをスローウオークと呼ぶようになった。シンプルだし、何も知らない人が聞いても、ある程度は想像できるネーミングだろう。ともあれ、実際に体験しようということで、スタジオの受講生とともに仙台駅から国分町まで4時間(!)かけて歩いてみた。篠原流をアレンジし、アルコールを飲むかどうかは任意とした。アーケードを超低速で、いやほとんど止まっているかのように歩く。後で計算すると、およそ時速300mくらい、毎分約5m進むペースだった。ただでさえ長いアーケードはなかなか終わらず、空間が引き伸ばされたかのようだ。なるほど、世界の見え方が変わる。普通のスピードで歩くと、意識しないものが視界に飛び込む。アーケードでは、絶えず流れる川のように消費者が歩き続ける。一方で店の前でずっと立つ、売り子たち。スローウオークはそのどちらでもない。ウイスキーを片手に実践者は微動する石のような存在となる。興味深いのは、試しに目をつぶっていても人がぶつからない。

名古屋・円頓寺商店街でのスローウオーク


 
◆遅さで感覚が研ぎ澄まされる

 あまりの遅さゆえに感覚が研ぎ澄まされ、全ての看板、広告、商品、装飾など、街の細部を確認できる絶対的な速度である。よく知っていると思っていた風景だが、そこまでちゃんと見ていなかったことに気付く。筆者は建築的に重要か、そうではないかを瞬間的に判別し、街を眺めているが、時間が余るため全てをフラットに鑑賞することを余儀なくされる。スローウオークは、その翌年、筆者が芸術監督を務めたあいちトリエンナーレ2013のプログラムにも取り入れられ、名古屋の円頓寺商店街で実践した。これらは集団で行ったが、もともとは一人で実践したものである。厳密なルールがあるわけではない。例えば、思いつきで1時間だけ歩いてもいいだろう。その後も、18年にスローウオーク・センダイの活動が始まるなど、盛岡や札幌など各地でさまざまに展開した。もちろん、ベンヤミンがパリのアーケードを遊歩することを巡って思索した『パサージュ論』に補助線を引くことも可能だろう。レベッカ・ソルニットの大著『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社)は、猿から人になった原始人の歩行から中世の巡礼、庭園の散策、ルソー、観光旅行の発明などの歴史をたどりながら、歩行と思考の行為を重ねている。スローウオークはいつでも誰にでもできる体験だ。興味を持った方はぜひ実践してほしい。
 

(いがらし・たろう)建築史家・建築批評家。東北大大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。「インポッシブル・アーキテクチャー」「装飾をひもとく~日本橋の建築・再発見~」などの展覧会を監修。第64回芸術選奨文部科学大臣新人賞、18年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。『建築の東京』(みすず書房)ほか著書多数。

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