インフラ復旧の最前線で「ともに未来へ」掲げ一丸 | 建設通信新聞Digital

5月10日 金曜日

能登半島地震リポート

インフラ復旧の最前線で「ともに未来へ」掲げ一丸

【熊谷組北陸支店/復興へ心一つに】
 熊谷組北陸支店は、「令和6年能登半島地震」の発生を受け、支店内に震災対策本部を立ち上げて同社の最前線で災害復旧に当たった。陣頭指揮を執った岸研司専務執行役員北陸支店長(3月取材時点、以下同。現常任顧問)は、現地の印象を「メディアで発信される以上の被害があった」と振り返る。発災から3カ月が過ぎた今、これまでの動きや今後の対応を聞いた。 BCP(事業継続計画)訓練が奏功して社員は全員無事だったものの、若手・ベテラン社員ともに初めて経験するような大きな災害であり、手探りで作業を進めた。本社や他の支店からも社員を集め、全社一丸となって対応に当たった。飯田正克副支店長新エネルギー推進チーム統括(現北陸支店土木事業部土木部風力発電工事所直轄工事所長)は「支店からは若手社員を中心に現場に配置した。大変だったとは思うが、良い経験になったのではないか」と話した。
 現場のある石川県輪島、七尾両市、穴水町に向かう拠点を志賀町に設置。北陸支店管理部の社員は、「少しでも社員と作業員が動きやすいように」との思いから、水や食料を毎日届けた。「他拠点からの人員の派遣は短期間ごとのローテーションにするなど、社員や協力会社の心身の健康面に気を配っていた」(岸支店長)。
 全社を挙げて二交代制を敷き、昼夜を分かたず施工を進めた。現場は、「今回の震災の特徴ともいえるが、道路網が分断されただけでなく、海底が隆起して港から資材を搬入できず、運搬に時間がかかった」ことで作業は困難を極めた。早期の道路啓開の要請に応えるため、現場の状況をこまめに支店に報告して、危険がないか、夜に作業して良いかなどを判断し、二次災害に細心の注意を払った。その防止対策は、ドローンや3次元モデルの作成などDX(デジタルトランスフォーメーション)の活用が効果を発揮した。
 同社が施工を担当した国道249号と県道38、51号、輪島市道の道路啓開作業は2月中旬に完了。今後は本復旧への準備を進める。元施工を担当した中屋トンネルや逢坂トンネルについては、国土交通省の復旧方針を踏まえる。応急復旧工事の中でも課題となった資材の調達では、「グループ会社のガイアートを通じて、石川県内で砕石を調達できた。富山県内の企業とも連携し、調達先を広げた」(飯田副支店長)。
 能越自動車道の同社施工区間で、土木部の高村忠勝作業所長は「計14人で1月9日から作業していた」と当時の様子を説明。現場のリーダーとして道路利用者のために汗を流し、慣れない拠点での生活や社員の心身のケアなどに奔走した。
 輪島市内の国道249号や県道38号などの施工箇所では、新潟県の現場にいた若手・中堅社員を中心に、2月下旬まで復旧工事に当たった。発災からしばらくは、現場に向かう道路の渋滞が作業者の悩みの種となった。移動時間を惜しみ、車中泊しながら作業した社員もいたという。
 建築分野について木下剛執行役員副支店長営業総括部長(現執行役員北陸支店長)は、「石川県だけでなく、富山県でも建物の被害があった。商業施設を中心に調査・復旧の依頼に応えた。大空間の鉄骨の変形やクラックの発生には、本社の設計本部構造設計部が耐震診断している」と説明した。今後、衣・食・住に関連する施設や、工場、旅館、物流施設といった経済活動に関わる建物を優先しながら復旧を進める。共同住宅の建設にも対応していく考えだ。
 同社の発祥は北陸地方。苦しい状況でも社員のモチベーションを高め、心を一つにするために掲げた震災復興スローガン「能登 共に歩もう未来へ」の下で、全社が一丸となり、インフラの担い手として北陸の未来づくりの一翼を担っていく。
【2024年4月8日付紙面掲載】

能越自動車道の現場の様子

(右から)木下副支店長、 岸支店長、飯田副支店長