ほとんど常にいきなりである。忘れもしない2000年、深夜に一通のファクス。GEORGIA在住の富豪が「FORT」を建設する。ついてはその設計コンペに参加する意志はあるかと問うている。なに?砦(フォート)の設計?帯屋やお茶屋は設計したが城や砦はない。面白い!それにGEORGIAといえばれっきとしたアメリカではないか!…で、即答で同意書を返送した。これが厄災の火蓋を切ることになった。
数日後、航空券が届いた。Georgian Airwayのチケットである。それはそうだろう。が、目的地がTbilisiとある。読めない。加えてイスタンブール経由。一度は行ってみたいものの、アメリカへの途中にわざわざ寄るか?…。などなどスタッフ総出でパニクッた挙句、わかった!GEORGIAとは「グルジア」(現ジョージア)の由!ソビエトの崩壊を機に独立し、その後のロシアとも骨肉相食む、あのアブナイ国である。
とはいえ同意書には辞退は厳罰との明記。で一計を案じた。断じて指名されてはならじと、荒唐無稽言語道断の案を提出した。がしかし、豈(あに)図らんや、なんとこれが、かの富豪のいたくお気に召すことになった。れっきとした(?)建築家は諦めも早い。即刻、腹を括った。
工事は陸軍。国が常時臨戦態勢ゆえ最先端の兵站(へいたん)技術を有し、兵士(現場作業者)の志気は極めて高い。これに助けられて3年。名銃カラシニコフで武装したSPに守られ(威嚇され)つつ宿舎と現場を往復することゆうに200回。難攻不落の砦(その実、富豪の別荘!)が完成した。さすがの仕上がりではある。とはいえ、その後二度とこの地を踏んではいない。君子厄災に近寄らず。ちなみに当の富豪は後に首相に就任し、「砦」は「首相官邸」と名を変えた。
閑話休題 そのいきなり(……)は酒席であった。二十数年ほど前、新宿の居酒屋で、かの代々木オリンピックプールの構造設計者川口衞氏と、カラオケの後の喉を慰めていた時のことだ。おはこの民謡をさんざんがなり立てた末に忘我に落ちたのか、はたまた私のど演歌に悪酔いしたのか、決して他人を褒めぬあの川口氏が、なんといきなりこう宣ったのである。「タカマツ!キミハスゴイ!…キミニ賭ケル!」と。
ということで、翌日、川口氏と共同名義で天津市博物館のコンペにいきなりエントリーすることになった。厄災はだいたいこんなふうに始まる。ともあれ、提案に先立ち、まずは現地を訪れた。市政府役員の案内である。が、さんざん迷った末、広大な荒地に辿り着いた。挙句、当の役人は「たぶん敷地はこのあたり…ま、とにかくどこでもよい…好きにしてくれ…」と言い置いてとっとと消えてしまった。
ポツンと残され、途方に暮れて天を仰ぐと、スモッグでよどんだ空に弧を描く白い鳥が一羽。で、好きにすることにした。「白鳥」をモチーフにした案を提出した。名付けて「SWANIUM」。どんな敷地にでも舞い降りることができる。きっと本当に敷地が決まってなかったに違いない。その案に白羽の矢が立った。事実、建設は訪れた地とは全く別の荒地で始まり、驚くべきことに原案のまま完成した。完成後「白鳥」のグッズがそれこそ飛ぶように売れるほど人気を博した。厄災転じて福となす…である。とはいえ、私には、二度とこの地、というかこの国を訪れることはないということが荒地を前にした時からわかっていた。
またしても閑話休題 そのいきなりの電話は、とっくに忘れてしまっていた青年、昔々ベトナム南端の都市計画コンペにあっけなく敗れてしまった時に通訳を勤めてくれた青年からであった。聞けばホーチミン市西の聖山で巨大な仏教施設の計画が進んでいたものの、クライアントが突然建築家をクビにしてしまった。ゆえにぜひとも私をクライアントに紹介したいとのこと。どことなく胡乱(うろん)な話である。厄災の臭いがする。とはいえ、胡乱にこそ機が在ることもまた大いに知るところではある。で、会うことにした。で、一気呵成に始まった。
その後5年余、今もその厄災のただ中にある。ベトナム随一のデベロッパー軍団を束ねる軍師との不断の激闘という厄災である。ただしそのバトルは、新たなアイデアを生むための不可避の丁々発止であることを、ふたりともが存分に理解している。かつ、そのようにして誕生したアイデアが連綿と実現し続けている。そう、この厄災はつまるところ実に建築家冥利に尽きる厄災である。ゆえに私は、おそらく永遠に(?)このベトナムの地を踏み続けることになる。
最後の閑話休題 私は旅を知らない。とはいえ、もし私にとっての旅があるとしたら、それはこんなふうな「旅」なのだ。だから、私の「旅」は、ほとんど常にいきなり始まることになる。
写真は全て高松伸建築設計事務所提供
このシリーズは、建築家の方々に旅と建築について寄稿していただいています。次回は古谷誠章氏です。
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