
洋館の応接間
立教大学は2024年、東京都豊島区にある江戸川乱歩の旧邸宅をリニューアルする。大学に隣接する旧邸宅や土蔵の現状保存に重きを置きつつ、資料展示スペースの充実も図る。作家が暮らした家と資料館が隣接するケースは非常に珍しく、同大学の教授で江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの運営委員を務める金子明雄氏は「乱歩の世界を新たな形で発信していくメディアとして期待してほしい」と語る。
江戸川乱歩(本名・平井太郎)はいわゆる「引っ越し魔」として知られている。豊島区の旧邸宅は乱歩の47番目の住まいとされ、1934年の引っ越し以後31年にわたり住み続けた「終の棲家(ついのすみか)」だ。
借家として引っ越した当初、敷地内には21年に建てられた母屋、関東大震災後の24年に建てられ乱歩の書斎兼倉庫にもなった土蔵があった。第2次世界大戦時の空襲で池袋地区は焼け野原と化したが、乱歩邸は幸いにも戦禍を免れた。乱歩は後に土地と建物を買い取り、洋館の増築などさまざまな増改築を施している。
旧邸宅と土蔵、蔵書などは2002年に立教大学の所有となった。土蔵は大正期の住宅土蔵の事例としての貴重さから、翌03年に豊島区指定有形文化財に指定され、保存修理工事が実施された。土蔵は関東大震災の翌年に建設されたことから耐震性を意識した工法が施されており、地盤の良好さも相まって「11年の東日本大震災時も特段の被害はなかった」と乱歩の孫である平井憲太郎氏は振り返る。

旧邸宅外観
母屋は築100年以上が経過するなど施設の老朽化が進んでいることから、旧邸宅のリニューアルは十数年前から課題に挙がっていた。立教学院が24年に創立150周年を迎えることを契機とし、記念事業の一環「旧江戸川乱歩邸施設整備事業」として改修工事を実施することとなった。
当初は既存建物を解体して建て替える案もあったが、限りなくオリジナルに近い状態で残す方向となり、図面にも変更が加わった。リニューアルプランは保存・活用・公開のバランスをとった工夫を凝らしたプランを展開する。
リニューアルの目的を、同大学総務部施設課の安部紀芳氏は「江戸川乱歩関連資料の整理・保存・公開・研究・社会還元を行う大衆文化研究センターの活動成果と、乱歩の文化的価値を発信するスペースの整備」と話す。
展示室は「作家・江戸川乱歩と人間・平井太郎の二つの人生に出会う場所」をコンセプトに、クラシカルな雰囲気の中に乱歩の怪しい世界観をイメージしつつ、耐震診断より残すこととなった柱4本を取り入れたデザインとする。
乱歩の所持品も数多く残る洋館(応接間)は、安部氏によれば「部屋の四隅に耐震壁を設置し、既存空調機の撤去、天井内に新規空調機を設置する以外は現状を保存する」方針だ。
リニューアル事業は母屋・洋館の施設改善・展示などの整備と、資料保管庫の新築工事(現離れ解体後)の二本柱で構成する。整備工期は24年3月から同年9月までを見通す。母屋・洋館の改修整備では、設計・監理はプランテック、展示計画は大日本印刷が担当する。施工者は未定。資料保管庫の新築工事は、設計施工をシステムハウスR&Cが担当する。
平井氏は、リニューアルプランについて「古い状態を維持したまま活用してくれるのはうれしい」と話す。「乱歩は歌舞伎や映画などの二次創作に寛容な人だった。本人の作品以外で興味を持った人が元の乱歩の世界に近づけるような施設になれば」と期待を込めた。
現存する母屋・洋館の規模は239㎡、土蔵の規模は木・土蔵造2階建て延べ約50㎡。新築する資料保管庫は軽量鉄骨造87㎡となる。所在地は西池袋5-15-17。
旧乱歩邸は改修工事に伴い、20日をもって休館期間に入っている。