企業名で五十音順に並ぶと隣り合うことも多かったという前田社長(右)と柴田社長。射手座のO型という共通点も
【誇り、情熱に変わりなし】
前田建設と三井住友建設、両社のトップが重んじる企業文化や風土。それはすなわち両社に所属する“人”そのものだ。労働集約型産業である建設業において、確実視される人口減少が業界再編のファクターとなっていることは間違いない。つまり、今いる人材を生かさなければ、思い描いた経営統合は絵空事になりかねない。今回の参画を契機に会社、そして社員への思いを柴田敏雄社長と前田操治社長にそれぞれ聞いた。
2003年に三井建設と住友建設が合併して誕生した三井住友建設。それぞれの来歴は日本が近代国家として産声を上げた明治期までさかのぼる。住友建設は1876(明治9)年に住友別子銅山の土木建築部門を基に「土木方」として、三井建設は87(明治20)年に西本組として、創業・発足した。戦後、資本参加や合併を経て、三井建設は主に建築分野で、同じく住友建設は土木分野でそれぞれ実績を積んできた。
ただ、両社ともにバブル経済崩壊後の市場縮小のあおりを受け、厳しい経営環境に直面。それぞれの強みを生かしながら経営を効率化するため、2003年4月に「対等の精神をもって」合併した。合併後は特にPC(プレストレスト・コンクリート)橋梁技術や免震・制震技術など高度なエンジニアリング力を発揮し、世界を舞台に活躍した。
しかし、再び厳しい局面に立たされる。大型建築工事の採算悪化を受けて21、22年度と2期連続で最終赤字を計上。その後も利益確保に苦慮した。期せずして23年には合併の立役者だった三井建設社長の清昇氏(三井住友建設初代社長)、住友建設社長の辻本均氏(同初代取締役会長)が相次いで逝去したのもそのタイミングだった。
今回のインフロニア・ホールディングス(HD)への参画に対して、社内からはさまざまな声があったことを柴田社長は打ち明けた。「できる限り支店を訪問し、われわれが培ってきた三井住友建設の本質的な価値や顧客からの信頼、技術者としての誇り、ものづくりに対する情熱は何も変わることはないと伝えてきた。むしろ、より大きなプロジェクトへの参加や脱請負など新たな挑戦のチャンスが増えたのだというメッセージを発信している」
その上で改めて三井住友建設への思いを尋ねると、柴田社長はいったん言葉を飲み込み、「思いはある。40年いた会社だ。でも、それよりもまず、今この統合を進めることが重要だ」と前を向いた。
【ともに総合インフラサービス企業へ】
変わるのは三井住友建設だけではない。これまで変革を志向してきた前田建設もさらなる発展を目指す。前田建設は1919(大正8)年に福井県出身の初代・前田又兵衛氏が「前田事務所」として創業。当初は水力発電所建設などの山岳土木工事からスタートし、その後、主要都市を結ぶ鉄道やトンネル道路などの整備を担う都市土木へとフィールドを広げた。60(昭和35)年には建築部門を設立し、民間工事を本格的に展開。工場や集合住宅、商業施設などの建設を手掛け、総合建設会社としての基盤を確立した。
2011年に掲げた「脱請負」は前田建設の大きな転機の一つとなった。従来の建設工事の請負に加えて、道路や水道などのインフラ施設の運営権を民間企業が取得し運営するコンセッション事業や再生可能エネルギー事業などインフラ運営サービス事業に注力するという戦略だ。国内のトップランナーとしての地位を築き、21年には前田道路と前田製作所とともに持ち株会社インフロニアHDを発足させ、「総合インフラサービス企業」を目指している。
「非常に変化の激しい変革の時代において建設会社として、企業としての存在意義が問われている。存在意義の再定義の節目がきているとも言える。いくら歴史が長くても、企業規模が大きくても一瞬で優位性を失いかねない時代になっている」と冷静に語る前田社長。「健全な危機感」と表現する課題認識をHD全体で常に共有していると述べた上で、「連携の時代といわれる中で、官民連携、異業種連携、地域連携、そして当然グループ連携もある。今回の連携は前田建設、インフロニアグループとしても新しいスタートだ」と温かいまなざしで新たな“兄弟”に呼び掛けた。
(聞き手は編集局長 佐藤俊之)