【45度の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎/現代に宗教建築は可能か | 建設通信新聞Digital

12月24日 水曜日

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【45度の視線】建築史家・建築批評家 五十嵐太郎/現代に宗教建築は可能か


 建築史や美術史をひもとけば、過去において宗教が重要な役割を果たしてきたことは明白だろう。またロマネスクやルネサンスなど、同じ様式名称を共有しているように、建築と美術が分かち難くつながっていることもよく分かる。が、一般的に近代以降は、建築家にとって公共施設や住宅が重要なテーマだと見なされるようになった。しかし、宗教が消えたわけではない。実際、ル・コルビュジエによるロンシャンの礼拝堂やガウディのサグラダ・ファミリア教会などの傑作が登場した。筆者も、天理教や大本教など、近代の新宗教を博士論文のテーマに選び、擬似宗教的な場としてウエディング・チャペルに関する著作を執筆した。

 それゆえ、毎年、大阪で開催している若手建築家の展覧会U35において、ゴールドメダルを受賞した酒井亮憲が、愛知県の春日井市でホサナ・キリスト教会の礼拝堂を手掛けたことに興味を持ち、11月に初めて現地を訪れた。場所は、高蔵寺ニュータウン南側の住宅地である。日曜日の午前だったので、礼拝を体験し、その後、昼食もいただき、4時間以上を過ごした。

 建築の見学だけなら、1時間もあれば十分だろう。が、ゆっくりと滞在したことで、建築、あるいは建築家と信徒の深いつながりを実感した。キリスト教の礼拝は、ヨーロッパで大聖堂などを見学するとき、たまたま立ち会うことはあっても、外国語で行われており、日本で最初から最後まで同席したのは初めてだった。

 これは年度の予算で計画される公共施設とは違い、宗教建築だからこそ可能になった、長い時間をかけて構想されたプロジェクトである。そもそもヨーロッパの教会は、建設に数百年かかることも珍しくない。実は道路を挟んで向かいに位置する、牧師の妻が開く絵画教室のアトリエは、まだ酒井が東京芸術大学の学生時代に設計していた。もう20年以上前である。その後、礼拝に使っていた牧師の家が手狭になったことで、正面に新しい礼拝堂を建設することになった。建築としては一応、2017年に完成し、既に供用を開始している。シンプルな空間の形状ゆえに、ロマネスクの教会をほうふつとさせるたたずまいだ。

 ただし、床を飾る十字型のモザイクは制作の途中であり、これは東京芸大で学んだ牧師の娘、楠八重有紗が担当している。彼女は、エントランスのステンドグラスも手掛け、絵画教室の子どもが手伝い、完成させた。また有紗ともに茨城で工房を営む、夫の楠八重馨は、机や椅子をつくっている。そして礼拝堂の手前のピンコロの施工や、アトリエのタイルの敷き変えなど、さまざまな局面で信徒が参加している。

 こうした建設のプロセスは、信者の結束を強くし、忘れがたい体験として記憶に刻まれるだろう。それぞれが自分のものとして建築を語ることができるのだ。まさにみんなの建築である。酒井も、当時は子どもだった信徒と交流を持ち、いわば親戚のおじさんのように、教会のコミュニティーとつきあいを続けている。

大理石の洗礼槽は、礼拝堂の中心軸に位置し、強い存在感をもつ


 大理石の洗礼槽は、礼拝堂の中心軸、一番奥に位置し、強い存在感を持つ。また山梨の工房ガルニエオルガヌムが制作したパイプオルガンは、信徒の兄妹が奏楽者を務め、礼拝において重要な役割を果たす。ところで、以前、筆者はキリスト教の葬式に出席し、寺院において僧侶が念仏を唱えるよくある風景とは、まるで違うことに驚いた。信徒が一人ずつ、亡くなった人の思い出を語るからだ。言うまでもなく、仏教は毎週顔を合わせることがない。だが、日曜の礼拝で同じ時間を共有した信徒だからこそ、葬式におけるスピーチが可能だったことが理解できる。

 ともあれ、ホサナ・キリスト教会では、もともと美術教育を重視していたからこそ、幾何学的なパターンによる大理石の床、英国の古材など、本物のマテリアルを効果的に使うことが、デザインの要になっている。教会はゴシックなどの様式によって規定されるわけではない。人が集まるところが教会であり、まさに信徒の絆として建築がつくられた。

 

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