復旧作業当初は、崩落前後の写真と照らし合わせながら、石材の元の位置の特定を試みたが、そもそも崩落前の写真が少なく、紙写真をスキャンしても解像度は低い。加えて、「武者返し」特有の石垣面の傾斜や広角レンズならではのゆがみもあり、一つひとつの石の輪郭が判別しづらく、結局は断念することになった。
デジタルアーカイブの構築やコンテンツ制作に携わる岸上氏と、熊本城との縁は09年にさかのぼる。運営にかかわる城下の観光施設向けに、古い図面を読み解きながらCGを使い、江戸時代中ごろの姿を再現するVR作品『熊本城』の制作に携わったことがきっかけだ。熊本城の甚大な被害に胸を痛め、「何か自分にできることはないだろうか」と考える日々が続いたという。

震災により名城は激しく損壊。城内にはおびただしい数の石が行き場を失って転がった。文化財の価値を損ねないように、崩落した石材を元の位置に戻すことが石垣修復の鉄則となる(出典:熊本災害デジタルアーカイブ/提供者:熊本大)
そもそも凸版印刷は、印刷技術を通じて培った高繊細なデジタル化技術やカラーマネジメント技術などをもとに、貴重な文化財をデジタルアーカイブデータとして保存している。その表現方法の一つとして、90年代後半から文化財をVRで再現する活動に取り組んできた。同社には国内のみならず、世界を対象に100件以上の文化財をVR化した豊富な実績があり、作品『熊本城』もその一つだった。
岸上氏は、その制作過程で何度も現地に足を運び、天守閣、宇土櫓(うとやぐら)、本丸御殿などの建造物や石垣を精緻に撮影した。チーム全体で約4万点のデジタル写真を撮影していた。そのことによって「一筋の光明が差したといえるかもしれない」と岸上氏。これをもとに、石材ごとの正対画像を作成、輪郭をトレースするなどの過程を経て、崩落前の石垣データベースを作成することができた。
それを、熊本大が開発したICP(Iterative Closest points)アルゴリズムによる照合技術と組み合わせることで、崩落した石材の輪郭と、デジタル画像に記録された石垣の組み方などを比較し、崩落後の石材が崩落前のどの位置の石材かを自動的に推定する「石垣照合システム」を完成させた。被災した際に崩れ落ちそうな建物を支えた「一本石垣」が注目された飯田丸5階櫓の南面312個および東面159個の石材に対し同システムを使った照合したところ、事前に熊本市が目視で照合した結果と比べて約9割の正解数を記録した。熊本市の職員が目視で判別できなかった43個の石材や、目視では他の候補を挙げていた17個の石材についても適正な位置を見つけることに成功した。
熊本市が16年12月に策定した「熊本城復旧基本方針」によると、全体の約3割に及ぶ石垣や、重要文化財を含む30棟以上が被災した熊本城の城郭全体の復旧には、約20年を要する。歴史的遺構が災害などで傷つくと、元の姿を取り戻すまでには長い歳月が必要だ。熊本城の復旧はまだ道半ばだが、岸上氏はこれまでを振り返り、「デジタルアーカイブデータの重要性を改めて痛感した」という。
「デジタルアーカイブやVR技術は、アナログに対立するものと思われている。CGやVRはデジタル、文化財はアナログと別の存在として扱うのではなく、両者をうまく融合すればそれぞれの強みが生かされ、新しい価値を生み出せる。文化財の魅力を伝えるだけにとどまらず、社会課題の解決にも活用できる」と見据える。
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