【記念シリーズ・横浜市公共建築】 第37回 横浜港大さん橋国際客船ターミナル | 建設通信新聞Digital

5月1日 水曜日

横浜市公共建築100年

【記念シリーズ・横浜市公共建築】 第37回 横浜港大さん橋国際客船ターミナル

折り紙を想起させつ架構のホール内部(横浜市港湾局提供)







【「見たことのない空間」へ若き才能集結/やりながら考え発見】

日本の海の玄関として世界各国のクルーズ船が寄港する「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」。その設計者を選定する国際コンペで最優秀作品に選ばれた英国在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロ氏とファッシド・ムサヴィ氏による建築家ユニットfoa(foreign office architects)案は、コンピューターを媒介とした、従来の建築の概念を覆すような斬新なデザインが世界の建築界に衝撃を与えた。これまで見たこともないような建築空間をどう実現していったのか。foaメンバーとしてプロジェクトに参画し、実施設計から設計監理までを担った5人の元スタッフに奮闘の日々をふり返ってもらった。 「他のコンペ案とは全然違う。foa案を見て衝撃を受けた」

コンペの審査結果が発表された1995年当時、京大大学院生だった岸川謙介氏(京都精華大教授・akk代表)、早大大学院生でコンペにも参加した田村圭介氏(昭和女子大教授)と小林泉氏(パワーアーキテクツ代表)は、そう口をそろえる。これをきっかけに3人とも渡欧を決意。大学院修了後、岸川氏と小林氏は英国のAAスクールとUCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)、田村氏はオランダのベルラーヘ・インスティトゥートにそれぞれ留学した。直接師事した岸川氏をはじめ、3人ともポロ、ムサヴィ両氏に学ぶ機会を得ながら、ヨーロッパの建築プロジェクトに携わっていく。

転機は99年。それぞれが次のステップに向けて日本への帰国を考え始めていた時に、コンペ後は基本設計段階でとどまっていた「横浜」が動く。「興味があったらチームに加われ」というポロ氏の呼び掛けに呼応し、同年9月1日、東京・芝浦に開設したfoaの日本オフィスで実施設計がスタートを切った。

当時、foaに設計協力していた現代建築研究所に勤務し、後に管理技術者としてfoaメンバーに合流した永山智文氏(横浜市建築局施設整備課担当係長)は、コンペ後にfoaと現代建築研究所、構造設計集団〈SDG〉と森村設計も加わった設計チームがコンペ案の実現性を高めるスタディを際限なく重ね、基本設計を練り直す姿を間近に見てきた。一方、当時からロンドン事務所に在籍し、意匠全般を担当した松澤憲一氏(楠山設計設計部係長)は、特に構造をめぐる議論について、「SDGの渡辺邦夫さんは、構造はスペースフレームにして上面と下面に仕上げをし、コンペのイメージ、つるっとした空間を推していた。けれど、アレハンドロとファッシッドは建物全体の形状がカードボード構造と入れ子状になることにこだわった」と語る。そして、ついにコンペとはやや異なるカードボード構造の下面を無くして、折板構造を露出するという決断に至ったことに「二人がコンペのイメージよりコンセプトを重視したのには驚いた。竣工時にはコンペとの違いに批判があったけれど、素晴らしい判断だったと思う」とふり返る。


◆バイタリティーとエネルギー原動力に

実施設計に与えられた期間は半年間。「そこから地獄のような日々が始まった」と小林氏は語る。急発進とも言える背景には「サッカー2002年ワールドカップ開催決定が大きく影響した」という。「オープニングセレモニーを大さん橋でという話になって、いきなりゴールというかデッドラインが決まった。完全徹夜は毎週必ず1回。3日寝ないことも繰り返しあった。ハードだった」と田村氏。

ポロ、ムサヴィ両氏にとっても「これほど大きい建築も日本での仕事も初めて」(小林氏)という中で、スタッフに「熟練者ではなく、僕らみたいな小僧」(田村氏)を選んだのは、「ちゃんとよく働く、責任もってやることを知っていたから」と岸川氏は確信を込める。田村氏も「時代的にコンピューター技術を身につけていたのは僕らの世代しかいなかったこともある」と付言しつつ、「建築好きだが建築経験はない。でもバイタリティーとエネルギーだけはあった」と胸を張る。「納まりにしてもどうしてできないのか知らないからとにかくやってみる。それでうまくいったことも多々あった」と小林氏が話すように、“海図なき航海”には既存の経験値より果敢に挑戦する若いパワーが必要だったともいえる。

そのボスである2人にしても「コンペでの勝利時にアレハンドロが32歳でファッシドは28歳。僕らと10歳も離れていない、いい兄貴でありお姉さん。方向性やコンセプトもすべて気持ちいいぐらい明快で良きリーダーだった」と田村氏。「ファッシドは細かいところまでよく見ていて、アレハンドロはジオメトリーとか大きなところに興味がある。理性と感性のバランスがとてもいい具合に取れていた」と岸川氏も言葉を継ぎながら「一番仕事をするのがその2人。僕らが帰った後も黙々と図面を描いている。こちらも頑張らないと、という思いはあった」と述懐する。

左から永山氏、小林氏、松澤氏、岸川氏、田村氏



◆コンピューター+手作業で温かみ

00年3月に着工を迎えたが、基礎工事と並行して上屋の詳細検討を進める“力業”だった。埋立地の建設地では地中25-56mの深さまで合計485本の鋼管杭を打設。その上に強固な基礎構造を構築した。建物の長さは約450m。まさに「港湾工事、土木のスケール」だった現場で「建築」を実感したのは上屋のメインフレームとなるボックスガーダーの設置が始まってから。「海上輸送された最初のワンピースがクレーンで船から吊り降ろされた時はすごく感動した。やっと形が見えた瞬間だった」と永山氏は語る。

田村氏は現場を訪れた建築家のレム・コールハース氏を案内した時に「こんな建物は世界中で見たことがない」と言われたことを鮮明に覚えている。一方で「最先端の建築と思っていたが、ガーダーが並んできた時にエッフェル塔が横になったような前近代的な感じがあってショックを覚えた」とも。岸川氏も「3Dは使っていたが、やっていることはけっこうローテクで折板の形もすべて手作業で描いていた。アルゴリズムやプログラミングの前段階だった」と指摘する。 

「現場でよくポロは自転車をつくる技術でできる建物を目指すと言っていた。ただ同じパーツが一つもないという難しさがあり、それによって見たことのない形が出現するような感じだった」と永山氏。「動線の設定が変わると3Dモデルもすべて変更となる。ガーダー1列全部、折板もすべて作り直さなければいけない。やりながら考え、発見していく。その連続だった」とは小林氏の弁だ。その試行錯誤の積み重ねが意匠や構造をより洗練させていく。なにより、「現場で施工会社や職人から学ぶことは多かった」と謝意を込める。ハイテクとローテクが交ざり合う、まさに過渡期にあって、コンピューター建築の可能性を広げる一方で、人の手の痕跡も感じられる肌触りの柔らかな温かみのある空間を現出した。


◆笑顔になる空間、建築志す場所にも

竣工を迎えた時、田村氏は「最先端と思っていたものがじつは優しい建築だと感じられて幸せな気分になった」という。「ここに来る人はみんな笑顔で戻っていく時も笑顔になっている。それがうれしく誇りにも思う」と永山氏。岸川、小林両氏は「ここに携わったみんながこれは俺がつくったと自慢できるような、そういう思いを共有していることがうれしい」と口をそろえる。かつて自らが学生時代に代々木体育館を見て感じたように、竣工から20年を経て、いま若い学生が「大さん橋」を見て建築の道を志すきっかけになっていることに大きな喜びも感じている。

◆施設概要

横浜市港湾局提供


▽所在地=横浜市中区海岸通1-1
▽規模・構造=S一部RC造(折板構造+ガーダー構造)地下1階地上2階建て
▽全体延べ床面積=約4万4000㎡(地下約2000㎡、1階約2万㎡、2階約2万2000㎡)
▽施設内容=地下:機械室、防災センターほか、1階:駐車場ほか、2階:客船ターミナル(交通広場、出入国ロビー、CIQ、大さん橋ホールほか)、屋上:緑地(広場、送迎デッキほか)
▽設計=foa、(構造設計)構造設計集団〈SDG〉、(設備設計)森村設計、(設計協力)現代建築研究所
▽施工=第1工区(ロビー)清水建設・東亜建設工業・東亜建設産業・日本鋼管工事・松尾工務店JV、第2工区(CIQ)鹿島・フジタ・相鉄建設・工藤建設JV、第3工区(大さん橋ホール)戸田建設・東急建設・山岸建設・駿河建設JV
▽竣工=2002年11月



◆連続する空間、人の動きを構造化

(4点とも三島叡氏撮影)

世界41カ国から660の作品応募があった国際コンペを制したfoa案は、「ノーリターン」という言葉で表すように、客船ターミナルとしての機能、出入国ロビーやCIQ(税関・入管・検疫施設)、駐車場、送迎デッキなどが空間として滑らかに連続していくという発想から、床が壁となり天井へとうねるように一体の面となって連続していく空間を提示した。

こうした「柱も梁もない空間」を実現するために、コンペ案での「カードボード構造」という段ボールの断面のようなハニカムで全体を構成するプランからスタートした、この上屋の構造は、幾多の紆余曲折を経て、最終的に建物の両脇を2列のボックスガーダ―が敷地長手方向に走り、その間の床と両側の跳ね出たスラブは薄い鉄板を折板にして大スパンを架け渡すことで、「柱も梁もない」構造と「人びとの滑らかな動き」の空間化を実現した。

構造上の力の流れは、人の流れと完全にパラレルであり、人びとの自由な動きを忠実に構造化しているため、ガーダーはどこの横断面を取り出しても同じ形状のものが一つもない。この人の動きを徹底的に分析し整理するためにコンピューターが全面的に利用されている。

ガーダーは基礎構造に緊結し、1階から2階、さらにうねりながら屋上へと連続して配置される。建物の主構造であり、その中を人びとが行き交う主動線となり、内部には設備の主要配管も内蔵する。板厚40mmから9mmまでの鋼板を溶接して工場で大型の部材を組み立て、現場溶接で各ブロックを結合させていく。クレーンの能力から1ブロックは50tと設定。鉄はすべてFR鋼(耐火鋼)を使用している。折板は板厚が薄いため、溶接ではなく耐火性のあるステンレスのヒルティ鋲を使用。工場で最長40mにおよぶ製品を製作し海上・陸上輸送して現場でガーダー間に架設した。

この建築は基本的に鉄とガラス、ウッドデッキという極端に少ない建築材料で構成される。床や屋上庭園のウッドデッキは室内外の一体化のため、同じ素材を使いたいという意図とともに、二重床での設備の納まり、雨対策、重量などを勘案し、堅い材質で比重の重く耐久性の高いブラジル産イペ材を採用している。

単体としての建築にとどまらず、都市とのシームレスな連続性を提案したのも特徴だ。近接する山下公園を90度回転させた21世紀型の庭園をつくり出すという狙いどおり、丘の地形のように起伏する屋上庭園は、国内外からの観光客や市民に常時開かれた憩いの場を提供している。


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